
アポロ13号:月面着陸から一転、絶望的な爆発事故発生
アポロ13号は、1970年4月11日に米フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられた、アメリカ合衆国によるアポロ計画の7度目となる有人月飛行ミッションです。
ジェームズ・ラヴェル船長をはじめとする3名の経験豊かな宇宙飛行士を乗せたサターンV型ロケットは、地質学的に極めて興味深いサンプルが採取できると期待されていたフラ・マウロ高地への着陸を目指して宇宙へと旅立ちました。
実は打ち上げの直後から、第2段ロケットの中央エンジンが異常な共振によって予定より早く燃焼を停止してしまうという、機体喪失にも繋がりかねない不穏なシステム不具合に見舞われていました。
この異常な振動はエンジンを支えるフレームを大きく歪ませるほど危険な水準に達していましたが、周囲のエンジンが自動的に燃焼時間を延長して軌道を修正したため、事なきを得て航行を続けていました。
しかし、真の絶望的な危機は、地球からおよそ32万キロメートルも離れた漆黒の深宇宙空間で彼らを待ち受けていました。}
ミッションの要である機械船に搭載されている2基の極低温酸素タンクのうちの1つが、突如として大音響とともに大爆発を起こしたのです。
後の綿密な事故調査によって判明した原因は、タンク内部の攪拌機のスイッチを入れた際、製造段階やテスト時の不具合が重なってテフロン製皮膜が損傷していた電線が短絡して放電し、発火したことでした。
この内部での発火により極低温の液体酸素が一瞬で気化して急激に膨張し、瞬時に圧力の限界値を超えて強固なタンクを内側から完全に吹き飛ばしてしまったのです。
さらに悪いことに、この大爆発による凄まじい衝撃と飛散した破片によって、もう一方の正常な酸素タンクまでもが致命的な配管の損傷を受け、機能を完全に失ってしまいました。
計器盤に表示される酸素残量の数値はみるみるうちに減少していき、数時間後には宇宙船の生命線である酸素が完全に空になってしまうことが誰の目にも明らかとなりました。
当初、飛行士たちはこの大きな衝撃を隕石などの微小天体が激突したためだと勘違いしていましたが、事態は彼らの想像を絶するほど残酷で深刻なものだったのです。
アポロ13号:司令船機能停止と月着陸船への避難という決断

機械船の酸素が完全に失われるということは、単に飛行士の呼吸のための空気がなくなるというだけでなく、燃料電池による電力供給や機器冷却のための飲料水の生成も不可能になることを意味しています。
司令船には大気圏再突入の際に使用するための独自のバッテリーと酸素が搭載されていましたが、それは地球へ帰還する最後の約10時間のために厳格に温存すべきものでした。
ジョンソン宇宙センターの管制室は、司令船の全システムを即座にシャットダウンし、本来は月面に降りるための月着陸船を「救命ボート」として活用するという苦渋の決断を下しました。
しかし、月着陸船は本来2人の人間が2日間だけ月面で滞在するように設計されており、3人の大人が4日間以上も生存するための電力や水、酸素などの物資は全く想定されていません。
それでも、もしアポロ8号の時のように着陸船が連結されていないミッションであったならば、避難場所を持たない飛行士たちが生還できる可能性は万に一つもなかったはずです。
この大爆発事故により、彼らが長年訓練を積んできた最大の目標である月面着陸は完全に不可能となり、速やかに地球へ生還するための過酷なサバイバルが幕を開けました。
飛行士たちは、見慣れた司令船の電源を落とし、徐々に冷え切っていく暗闇の中で、狭い着陸船へと避難するという前代未聞の事態に直面したのです。
このような非常事態の手順は地上でのシミュレーション訓練で幾度も実施されていましたが、まさか現実の深宇宙空間でそれを実行する日が来るとは誰も予想していませんでした。
残された極めて僅かな電力と物資をいかに温存し、月の裏側を回る自由帰還軌道を利用して地球へ引き返すかという、極限の計算と慎重な宇宙船操作が求められました。
はるか彼方の地球への道程は絶望的に長く、限られたリソースの中でいかに命を繋ぎ止めるかが、飛行士と地上の管制官たちに課せられた最大の使命となったのです。
アポロ13号:二酸化炭素の脅威と手作りフィルターの軌跡

着陸船への避難を無事に完了した飛行士たちを直後に待ち受けていたのは、酸素の欠乏よりもさらに切迫した「二酸化炭素中毒」という目に見えない恐怖でした。
人間が呼吸をするたびに狭い船内に排出される二酸化炭素は、一定の濃度を超えると人体に対して致命的な毒性を持ち、意識障害や死をもたらします。
着陸船の環境維持システムには水酸化リチウムを用いた二酸化炭素除去フィルターが装備されていましたが、3人が地球へ帰還するまでの数日間を乗り切るための容量は全く足りませんでした。
機能停止した司令船の中には十分な数の予備フィルターが残されていましたが、ここで司令船と着陸船のシステム規格の違いという致命的な壁が立ちはだかります。
司令船用の予備フィルターエレメントは四角形であり、着陸船に備え付けられている円形のフィルター筐体には、どう工夫してもそのままでは装着することができなかったのです。
この絶望的な状況を打破するため、地上の技術者と管制官たちは、船内にあるあり合わせの素材だけを利用してシステムを繋ぎ合わせる解決策を大至急模索しました。
彼らは、余っていたボール紙や宇宙服のホース、そしてフライトマニュアルの表紙やビニール袋をガムテープでつなぎ合わせ、四角形のフィルターに空気を流し込む変換アダプターを作るという驚異的なアイデアを思いつきました。
地上から口頭で伝えられる複雑な組み立て手順に従い、飛行士たちは異常な寒さと極度の疲労に耐えながら、船内で緻密な手作業による工作を開始しました。
完成した不格好な手作りフィルター装置は、その四角い形状と突き出たホースの見た目から「メールボックス」という愛称で呼ばれ、見事に着陸船の送風システムに適合しました。
この地上の知恵と飛行士の機転の利いた対応により、船内の危険な二酸化炭素濃度は安全なレベルにまで急速に下がり、彼らは当面の命の危機を脱することに成功したのです。
アポロ13号:軌道修正と極限の電力制限下のサバイバル
二酸化炭素の脅威を見事に退けた後も、電力と飲料水という生命維持に直結する極めて深刻なリソース不足が、帰還の道程にある飛行士たちを苦しめ続けました。
司令船の燃料電池とは異なり、着陸船は酸化銀電池を電力源として使用していたため、発電の副産物として貴重な水を得ることが構造上できません。
機器の冷却と生命維持の両方に不可欠な飲料水は厳格に配給制限され、飛行士たちは極度の喉の渇きと戦いながらの過酷なサバイバルを余儀なくされました。
バッテリーを大気圏再突入の直前まで温存するために電力を最低限度にまで抑えたことで船内の温度は急激に低下し、食料のホットドッグが凍りついてしまうほどの異常な寒さが彼らの体力を奪っていきました。
さらに宇宙船を無事に地球へ帰還させるためには、損傷した機体のまま月の裏側を回る「自由帰還軌道」に乗り、的確なタイミングで着陸船の降下用エンジンを噴射する危険な賭けに出る必要がありました。
月面に最接近してから2時間後、宇宙船をさらに加速させて地球への帰還までの所要時間を短縮するための「PC+2噴射」と呼ばれる極めて重要な軌道修正が実行されました。
コンピューターによる自動操縦に完全に頼ることができず、地上の誘導と飛行士による目視を交えた手動制御で行われたこの噴射は、僅かな誤差も許されない極度の緊張を伴うものでした。
寒さと極度の渇き、そして何日も続く睡眠不足による疲労が頂点に達する中、彼らは互いの精神を鼓舞しながらこの精密な軌道修正を見事に成功させました。
空気中の水分が結露となって無数にへばりついた計器盤の前で、彼らはただ宇宙船が地球へ向かう慣性飛行を信じ、じっと寒さに耐え忍ぶ時間を過ごすしかなかったのです。
極限状態における人間の強靭な精神力と、設計限界をはるかに超えた宇宙船のイレギュラーな運用が試された、まさに孤独で過酷な深宇宙での旅路でした。
アポロ13号:奇跡の生還を支えた地上の管制官と「成功した失敗」

打ち上げからおよそ6日後の4月17日、幾多の絶望的な死地を乗り越え続けてきたアポロ13号の司令船オディッセイは、ついに目標である地球の大気圏へと再突入しました。
再突入の直前、救命ボートとして彼らの命を繋いだ着陸船アクエリアスと、無残に破壊された機械船を切り離した瞬間、飛行士たちは自分たちがどれほど絶望的な状態にあったかをその目で初めて確認しました。
機械船の広大な外装パネルは吹き飛び、内部のタンクや配線がむき出しになったその姿は、爆発の威力の凄まじさを物語っていました。
通信が途絶える再突入時の過酷なプラズマの壁を抜け、空に美しい3つのパラシュートが開いて無事に太平洋へと着水した瞬間、管制室は安堵と歓喜の渦に包まれました。
極端な水分摂取制限による影響でヘイズ飛行士は尿路感染症に罹患していましたが、誰一人欠けることなく全員が生還を果たしたことは宇宙開発史における真の奇跡です。
月面着陸というミッション本来の目的は達成できなかったものの、この飛行は決して単なる敗北や失敗として語り継がれることはありません。
関係者全員が迅速かつ的確な対応によって絶体絶命の危機を乗り越えたこの出来事は、NASAの底力を示した「栄光ある失敗」あるいは「成功した失敗」として現在でも高く評価されています。
事故後には、着陸船を製造したグラマン社が司令船の製造元に対して「月からの帰路を牽引した料金」として数十万ドルの請求書を冗談で送るなど、極限の緊張を解きほぐす粋なユーモアも生まれました。
もし酸素タンクの故障が月面着陸の後など別のタイミングで起きていたら、彼らが再び地球の土を踏むことは絶対に不可能だったでしょう。
飛行士の卓越した技術と、地上で彼らを不眠不休で支え続けた数多くの技術者たちの叡智が結集し、人類の絆と科学技術の勝利を証明した伝説のミッションなのです。
アポロ14号:遅延を乗り越え、フラ・マウロ丘陵への精確な着陸

アポロ14号は、前回の13号が事故によって到達することができなかった「フラ・マウロ丘陵」への着陸という重要な使命を帯び、1971年1月31日に打ち上げられました。
船長を務めたアラン・シェパードは、メニエール病による長年の辛い地上勤務からついに復帰を果たした、当時のアメリカで最年長のベテラン宇宙飛行士でした。
発射当日はケネディ宇宙センター周辺が悪天候と厚い雲に覆われ、アポロ計画の歴史において初めて打ち上げ時間が40分も遅延するという波乱の幕開けとなりました。
さらに地球の周回軌道を離脱して月へ向かう航上でも、着陸船「アンタレス」と司令船「キティ・ホーク」のドッキングに手こずり、何度もやり直しを迫られるなど、幾つかのトラブルが連続して発生しました。
しかし、ミッション最大の危機は月面への降下中という最も緊迫したタイミングで起こり、着陸船のコンピューターが故障したスイッチから誤った緊急停止信号を受信し続けるという事態に陥りました。
もしこのまま降下プログラムを続行すれば、コンピューターが着陸中止を判断して自動的に上昇用エンジンが点火してしまうため、地上の技術者による即席のプログラム修正が急遽行われました。
飛行士のエドガー・ミッチェルが狭い船内でテンキーを80回以上も叩いてパッチを入力し、間一髪のところでシステムの致命的な誤作動を回避することに成功したのです。
さらにその後、高度測定用のレーダーが一時的に作動しなくなり対地速度が分からなくなるアクシデントも重なりましたが、スイッチを操作して機器を復活させ、シェパードの巧みな手動操縦への切り替えによって見事難局を乗り越えました。
数々のソフトウェアとハードウェアの障害を克服し、アンタレスはこれまでのアポロ計画の全着陸の中で最も正確に、目標地点であるフラ・マウロ基地へと精確に降り立ちました。
極度の緊張感に包まれた困難な着陸劇は、ベテラン飛行士たちの卓越した飛行技術と、地上の支援チームによる冷静な判断力を如実に物語っています。
アポロ14号:長期月面滞在と歴史的な「月面でのゴルフ」

無事にフラ・マウロ基地へ降り立ち、月面に足を踏み下ろしたシェパードの第一声は、「長い道のりだったが、我々はここにいる」という、彼自身の苦難の歴史を踏まえた感慨深いものでした。
今回のアポロ14号から、地上でのテレビ中継や写真で飛行士を明確に識別できるように、船長であるシェパードの真っ白な宇宙服の袖と膝、ヘルメットに太い赤い線が入れられました。
アポロ12号の際に写真での人物識別が困難だった教訓を生かしたこの直感的な識別のためのデザイン変更は非常に実用的であり、現在に至るまで国際宇宙ステーションなどで使用される船外活動服にも同じルールとして受け継がれています。
2日間にわたる月面での滞在期間中、彼らは合計で9時間以上にも及ぶ2回の本格的な船外活動を実施し、手押し式のリヤカーのような「機器運搬車」を活用して広範囲の地質を探索しました。
第2回目の船外活動では直径約300メートルに及ぶコーン・クレーターの縁を目指して歩き、月面を人間の徒歩のみで移動した最長距離記録を打ち立てる快挙を成し遂げました。
しかし、起伏に富んだ灰色の地形で距離感が狂い、クレーターの明確な縁を見つけることができず、あと数十メートルのところで時間切れとなり引き返すという悔しい結果も残しています。
この過酷なミッションの中で最も世界中の人々の記憶に刻まれているのは、作業の最後にシェパードが月面で行った歴史的な「ゴルフ」のパフォーマンスでしょう。
密かに宇宙船に持ち込んでいた6番アイアンのヘッドを岩石採集用の道具の柄に取り付け、自由度の低い宇宙服のまま片手で見事に2球のゴルフボールを打ち放ちました。
重力が地球の6分の1しかない月面で放たれたボールは、「何マイルも何マイルも先に飛んで行った」と彼を歓喜させ、真面目な科学探査の合間に見せた遊び心が世界中の視聴者を大いに沸かせました。
同行していたミッチェルも岩石採集用のシャベルをやり投げのように投擲してみせるなど、極限の環境下においても失われない人間らしいエンターテインメント性を示したのです。
アポロ14号:科学的成果と宇宙を旅した「月の木」の遺産

アポロ14号は、月面でのゴルフといったエンターテインメント性で話題をさらっただけでなく、月面地質学的な観点からも極めて重要で歴史的な科学的成果をもたらしました。
フラ・マウロ丘陵から42キログラムを超える貴重な岩石や土壌のサンプルを採集し、手押し式の運搬車に乗せて持ち帰り、地球上の研究室へと安全に届けることに見事成功したのです。
さらに、月面には地震観測計などを一まとめにした「アポロ月面実験装置群(ALSEP)」を展開し、月の内部構造を解き明かすための長期的なデータ送信ネットワークを確立しました。
月面に降りた2人だけでなく、司令船キティ・ホークで孤独に月周回軌道に留まっていたルーサ飛行士も、単独で広範囲にわたる月面の高解像度写真撮影や科学観測を精力的に行いました。
かつて森林降下消防士として働いていた経歴を持つルーサが宇宙へ持ち込んだ数百個の樹木の種子は、地球への帰還後に無事発芽し、「月の木」として世界各地に配布・植樹されることになります。
これらの木々は、宇宙開発の平和的利用と生命の神秘を象徴する記念碑として、現在でも日本を含む世界各国で静かに、そして力強く成長を続けています。
9日間にわたる劇的なミッションを終えた3人の飛行士たちは、サモア諸島沖の太平洋へ無事に着水し、人類の月面探査における新たな金字塔を打ち立てました。
帰還後には飛行士に対する厳重な検疫隔離措置が取られましたが、月の微生物に対する懸念が払拭されたため、このアポロ14号を最後に検疫制度は廃止されることになりました。
アポロ14号の完全なる成功は、前回の13号の凄まじい事故によって揺らいでいたアポロ計画全体への信頼を回復させ、続くさらに高度な科学探査ミッションへの道を力強く切り開いたのです。
このミッションで得られた月の内部データや持ち帰られた岩石サンプルは、世界中の科学者たちに宇宙の歴史を紐解くための膨大なヒントを与え続けています。
まとめ


アポロ13号の極限の帰還劇は、月に行けなかった話なのに、むしろ人の知恵と命がけの帰還が
印象的で映画にもなったのが納得できる物語です、
そのうえで14号が失敗の教訓をきちんと次につなげて、探査も成果も前に進めた流れがアメリカの威信をかけたプロジェクトというのが伺えます。
第8章に続く、、、
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