
アポロ15号16号17号:J計画の幕開け、そしてアポロ計画の終焉【アルテミスへ繋ぐアポロの軌跡:第8章】
アポロ計画における4度目の月面着陸飛行となったアポロ15号は、アメリカの有人宇宙飛行として8回連続の成功を収めた歴史的なミッションです。
この飛行から、月面車を使用してより長期間月面に滞在し、科学的探査に重点を置く「J計画」が初めて導入されました。
デイヴィッド・スコット船長とジェームズ・アーウィン着陸船操縦士を乗せた着陸船「ファルコン」は、月の雨の海の中にある「腐敗の沼地」と呼ばれる地域のハドリー山に降り立ちました。
彼らは月面で3日間を過ごし、合計18時間半におよぶ船外活動を通じて、約77キログラムもの貴重なサンプルを採集することに成功しています。
また、司令船「エンデバー」の操縦士であるアルフレッド・ウォーデンは、月の上空を周回しながら科学機器搭載区画に収納されたパノラマカメラやガンマ線分光計、レーザー高度計などを使用し、月の表面と環境に関する詳細な観測を行いました。
NASAはこのアポロ15号を、それまでに行われた中で最も成功した有人宇宙飛行であったと高く評価しています。
飛行士たちは全員が空軍の出身であり、ミシガン大学で学位を取得しているなど、極めて優秀な経歴を持っていました。
特にJ計画の目玉である地質学的探査を成功させるため、スコット船長とアーウィン飛行士は地質学者のレオン・シルバーと共に、ニューメキシコなどで実際の地形を用いた本格的なフィールドワーク訓練を重ねました。
彼らは生命維持装置の模型を背負い、管制センターの宇宙船連絡員と交信する実践的な訓練を通じて、未知の月面環境での地質調査に備えたのです。
司令船操縦士のウォーデンもまた、エジプト生まれの地質学者ファルー・エルバズの指導のもと、航空機から地上の地形を観測する訓練を積み、月軌道上からの高精度な観測技術を習得しました。
このような徹底した事前準備が、アポロ15号の目覚ましい科学的成果を支える強固な基盤となりました。
ハドリー・アペニン地域への着陸と月面車の導入
アポロ15号の最大の特徴は、史上初めて「月面車」が実戦投入されたことです。
ボーイング社が開発を担当したこの月面車は、折り畳まれた状態で着陸船に収納されており、各車輪が独立した電気モーターで駆動する画期的な四輪駆動車でした。
最高速度は時速10キロから12キロメートル程度でしたが、これにより宇宙飛行士は着陸船から遠く離れた場所まで足を延ばすことが可能となり、探査の範囲と効率は飛躍的に向上しました。
最初の船外活動で月面車を取り出したスコット船長とアーウィン飛行士は、ハドリー裂溝の縁にあるエルボークレーターへと向かいました。
この移動能力の向上により、彼らは徒歩では到底到達できないような複雑な地形にまでアクセスし、多様な地質学的サンプルを収集することができたのです。
月面車の導入は、人類の惑星探査におけるモビリティの概念を根底から覆す、まさに革命的な出来事であったと言えます。
月面での移動時間が大幅に短縮されたことで、飛行士たちは実験機器の設置やサンプルの採集など、より重要で複雑な科学的タスクに多くの時間を割くことができるようになりました。
また、月面車にはテレビカメラが搭載されており、地球の管制センターからの遠隔操作によって、宇宙飛行士の活動の様子や月面の風景が鮮明な映像として地球に届けられました。
この画期的な映像中継システムは、科学者たちがリアルタイムで探査の進行状況を把握し、的確な指示を出すための重要なツールとして機能しました。
さらには、一般のテレビ視聴者にも月面のリアルな様子を伝えることができ、宇宙開発への関心を再び高めるという広報的な側面でも大きな成功を収めたのです。
創世記の石の発見と地質学的成果

アポロ15号の月面探査において最も有名かつ重要な成果の一つが、第2回目の船外活動で発見された「創世記の石(ジェネシス・ロック)」の採集です。
モンス・ハドレイ・デルタと呼ばれる小山を目標としたこの日の探査で、スコット船長とアーウィン飛行士はアペニン山脈周辺のクレーター群から岩石を収集しました。
その中で彼らが発見したサンプル番号15415番の石は、月の初期の地殻を形成していた斜長岩であると考えられ、月の誕生と進化の謎を解き明かす極めて重要な鍵として世界中の科学者の注目を集めました。
この発見は、月がかつて全体をマグマの海で覆われていたという「マグマオーシャン説」を強力に裏付ける証拠となり、惑星科学の分野に多大な貢献をもたらしました。
飛行士たちは前日に設置場所のボーリング作業で苦労したアポロ月面実験装置群の周辺でも土質力学的実験を行い、月の土壌の物理的特性に関する貴重なデータを取得しました。
月面車の機動力を最大限に生かした彼らの広範な地質調査は、月の海と高地の境界領域という複雑な地形の成り立ちを詳細に記録することに成功したのです。
収集された約77キログラムのサンプルは、後の精密な分析によって月の年代測定や組成解析に不可欠なデータを提供し、人類の宇宙に対する理解を一段と深める結果となりました。
アポロ15号がもたらしたこれらの地質学的成果は、単なる石の採集にとどまらず、地球を含む太陽系の岩石惑星がどのようにして形成され、進化してきたのかという壮大な歴史の物語を私たちに語りかけています。
ガリレオの法則の実証と深宇宙船外活動

月面探査の最終日となる第3日目の船外活動では、着陸地点の北西に位置するハドレー裂溝の縁が探索の目標となりました。
探査を終えて着陸船のそばに戻ったスコット船長は、テレビカメラを通じて世界中の人々に向けてある歴史的な実験を披露しました。
それは、空気抵抗のない真空中では質量の大小に関わらず物体は同じ速度で落下するという、ガリレオ・ガリレイの落体の法則を実証するものでした。
スコット船長が両手に持った羽根とハンマーを同時に手放すと、それらは真空の月面空間を全く同じ速度で落下し、同時に月面に到達して見事にガリレオの理論の正しさを証明しました。
このシンプルでありながら非常に象徴的な実験は、宇宙探査が基礎科学の理論を実証するための壮大な実験室になり得ることを世界に知らしめる素晴らしいデモンストレーションとなりました。
月面活動をすべて終えた後、着陸船の上昇段は月面を離陸し、軌道上で待機していた司令船「エンデバー」との見事なランデブーと再ドッキングを果たしました。
そして地球への帰還の途上、司令船操縦士のウォーデンは深宇宙空間での船外活動という、人類史上初となる危険で困難な任務に挑みました。
彼の目的は、機械船の科学機器搭載区画に収められていた高解像度の月面観測写真フィルムのカセットを回収することであり、この決死の作業によって月軌道上から撮影された膨大な観測データが無事に地球へと持ち帰られました。
このような命がけの作業と緻密な科学実験の組み合わせこそが、アポロ計画を単なる技術的挑戦から真の科学的探求へと昇華させた原動力であったと確信しています。
アポロ16号:未知なる月の高地への挑戦

1972年4月に打ち上げられたアポロ16号は、アポロ計画において10度目となる有人宇宙飛行であり、史上5度目の月面着陸を成功させたミッションです。
ジョン・ヤング船長、チャールズ・デューク着陸船操縦士、そしてケン・マッティングリー司令船操縦士の三名で構成されたこのチームは、人類として初めて「月の高地」への着陸という未知の領域に挑みました。
それ以前のアポロ探査はすべて、比較的平坦で溶岩によって形成された「月の海」と呼ばれる地域への着陸でしたが、科学者たちは月の地質学的な多様性を理解するため、より古く複雑な地形を持つ高地での調査を強く求めていました。
アポロ16号の最大の目的は、デカルト高地とケイリー・クレーター周辺のサンプルを収集し、この地域が地球の火山活動と同様のプロセスで形成されたという仮説を検証することにありました。
サターン5型ロケットによってケネディ宇宙センターから打ち上げられた後、飛行の途中で司令船のロケットエンジンにトラブルが発生し、月面着陸が危ぶまれる緊迫した事態も生じました。
しかし、管制センターの迅速な判断と飛行士たちの冷静な対応により危機は回避され、着陸船「オライオン」は予定より数時間遅れて無事にデカルト高地へと降り立ちました。
ヤング船長とデューク飛行士は月面で約71時間を過ごし、通算20時間以上におよぶ三度の船外活動を通じて、高地特有の貴重な地質学的データを収集しました。
このミッションは、人類が月の裏側に近い複雑な地形で長期間の科学探査を完遂できることを証明した、極めて重要なマイルストーンとなりました。
デカルト高地への着陸と火山活動説の検証

アポロ16号が着陸地点として選んだデカルト高地は、月面の中でも特に隕石の衝突痕が密集し、複雑な地形が入り組む難所でした。
当時の多くの地質学者たちは、このデカルト高地や近隣のケイリー平原が、月の内部から噴出した粘度の高いマグマによる火山活動によって形成されたのではないかと推測していました。
この「火山活動説」を実証、あるいは反証することが、ヤング船長とデューク飛行士に課せられた最も重要な科学的使命の一つでした。
月面に降り立った彼らは、第1回の船外活動で着陸船の周辺やフラッグ・クレーターへと向かい、月面車を駆使して広範囲な地質調査を開始しました。
探査の過程で彼らは、当初予想されていた火山岩ではなく、巨大隕石の衝突によって粉砕され再結合した「角礫岩」を大量に発見することになります。
特にヤング船長が採集した「ビッグ・ミューレイ」と名付けられた巨大な角礫岩は、アポロ計画で持ち帰られた単体のサンプルとしては最大のものであり、月の高地の成り立ちを解き明かす決定的な証拠となりました。
これらのサンプルを地球に持ち帰り詳細に分析した結果、デカルト高地は火山活動ではなく、はるか昔の巨大な隕石衝突によって飛び散った噴出物が厚く堆積して形成された地形であることが判明したのです。
この発見は、月面の地質学的な進化の歴史に関する科学者たちのパラダイムを大きく転換させる、アポロ16号の最も輝かしい科学的成果となりました。
このミッションがもたらしたデータは、私たちが月という天体を理解するための基礎理論を根本から書き換えるほどの影響力を持っていたのです。
ストーン山での調査と月面車による走破

飛行第6日目に実施された第2回の船外活動では、着陸地点の南にそびえるストーン山の中腹へと向かう、より野心的な探査ルートが設定されました。
ヤング船長とデューク飛行士は月面車に搭乗し、最大傾斜角20度という険しい斜面を登りながら、標高約152メートルの地点にあるシンコ・クレーター群を目指しました。
これはアポロ計画の全ミッションを通じて、着陸船から最も高い標高に到達した記録であり、月面車の優れた走破性能と飛行士たちの卓越した操縦技術が見事に証明された瞬間でもありました。
ストーン山の中腹から見下ろすデカルト高原の景色は息を呑むほど美しく、デューク飛行士はその壮大な光景を「絶景」と評して地球の管制室に報告しています。
この高所での探査において、彼らはサウスレイ・クレーターの噴出物を浴びていない純粋なデカルト高原の基盤岩を求めて、慎重にサンプルの採集を行いました。
斜面を下る途中でも複数のステーションで立ち止まり、白黒の角礫岩や斜長石に富む結晶を含む石など、月の初期の歴史を刻み込んだ多様な岩石を収集しています。
月面車の存在によって、彼らは宇宙服の生命維持装置の限界を気にすることなく広範囲を移動し、起伏に富んだ地形で効率的に科学的データを集めることができました。
総計7時間23分にもおよんだこの日の船外活動は、月面における人間の機動力と科学的探査の可能性を極限まで引き出した、まさにアポロ計画のハイライトと呼ぶべき充実した活動でした。
深宇宙での船外活動と小型衛星の放出

ヤング船長とデューク飛行士が月面で過酷な探査を行っている間、司令船操縦士のマッティングリーは司令船「キャスパー」に単独で留まり、月周回軌道上から極めて重要な観測任務を遂行していました。
彼は機械船の科学機器搭載区画に備えられた高解像度のパノラマカメラや地図作成用写真機を駆使し、月面の詳細な地形図を作成するための貴重な写真データを記録し続けました。
さらに、アポロ15号に続いて月周回軌道上への小型衛星の放出も行われ、月の重力場や磁場、宇宙線環境に関する長期間のデータ収集に向けたプラットフォームが設置されました。
月面探査を終えた着陸船の上昇段が無事に司令船とランデブーを果たし、飛行士たちが合流した後、アポロ16号は地球への帰還の途につきました。
地球から約31万キロメートル離れた深宇宙空間において、マッティングリー飛行士は船外活動を実施し、機械船の外部にある科学機器搭載区画から露光済みのフィルムカセットを回収するという危険な任務に挑みました。
漆黒の宇宙空間に身を乗り出し、絶対的な孤独と真空の恐怖に耐えながら行われたこの作業は、月軌道上から得られた膨大な科学データを無事に地球へ持ち帰るために不可欠な手順でした。
また、彼はこの船外活動中に、宇宙空間での微生物の生態を評価する特別な実験装置のセットも行っており、生命科学の分野にも貴重なデータを提供しています。
アポロ16号は、月面での地質学的な大発見にとどまらず、軌道上からの高精度なリモートセンシングや深宇宙での船外活動など、総合的な宇宙科学探査の能力を極めて高いレベルで実証したミッションでした。
アポロ17号:アポロ計画の集大成と地質学者の月面到達

1972年12月に行われたアポロ17号は、輝かしいアポロ計画の掉尾を飾る歴史的な最終ミッションであり、現在に至るまで人類が月面に足を踏み入れた最後の飛行となっています。
このミッションには、ユージン・サーナン船長、ロナルド・エヴァンス司令船操縦士とともに、プロの地質学者であるハリソン・シュミットが月着陸船操縦士として抜擢されました。
科学界からの強い要望を受けて搭乗したシュミット飛行士の存在は、月面探査の焦点を「技術的な実証」から「純粋な科学的研究」へと完全にシフトさせたことを象徴しています。
彼らの目的地に選ばれたのは、切り立った山々に囲まれたタウルス・リットロウ渓谷であり、古い月の高地の物質と、比較的新しい火山活動の痕跡の両方を一度に調査できる理想的な場所でした。
サターン5型ロケットによる夜間の打ち上げという、視覚的にも劇的な幕開けで始まったこの飛行は、アポロ計画で培われたすべての技術と経験が集約された究極の探査ミッションとなりました。
サーナン船長とシュミット飛行士は月面で3日間を過ごし、月面車を駆使して合計22時間におよぶ3度の船外活動を行い、110キログラムを超える過去最大量のサンプルを採集しました。
一方のエヴァンス飛行士は月周回軌道上にとどまり、科学機器搭載区画の装置を用いて月面の詳細なマッピングと地質学的な観測を続けました。
アポロ17号は、月面滞在時間、船外活動時間、サンプル採集量など数多くの記録を塗り替え、人類の宇宙開発史に永遠に語り継がれる金字塔を打ち立てたのです。
史上初の夜間打ち上げとタウルス・リットロウ渓谷

アポロ17号は、アメリカの有人宇宙飛行史上初めて、真夜中に打ち上げられるという劇的なスタートを切りました。
ケネディ宇宙センターの39A発射台から漆黒の夜空に向かって放たれたサターン5型ロケットの強烈な炎は、数百キロメートル離れた場所からも目撃されるほど圧倒的な光景でした。
地球周回軌道から月への遷移軌道に乗った後、司令船「アメリカ」と着陸船「チャレンジャー」は、月面のタウルス・リットロウ渓谷を目指して正確な航行を続けました。
この渓谷は、巨大な雨の海盆地を形成した隕石衝突よりも古い時代に作られた高地の地殻物質と、谷の底を覆う暗い火山性物質の両方が存在する、地質学的に極めて興味深い地形でした。
着陸船が渓谷の底に無事に降り立った後、サーナン船長とシュミット飛行士はただちに第1回の船外活動を開始し、アポロ月面実験装置群の設置と初期の地質調査に着手しました。
彼らは月面車を組み立て、周辺のクレーターや岩石の配置を慎重に観察しながら、プロの地質学者ならではの鋭い視点でサンプルの選定を行いました。
シュミット飛行士の専門的な知見は、限られた時間の中で最も科学的価値の高い岩石を見極める上で絶大な威力を発揮し、地球で待つ科学者たちに極めて精度の高い現場の地質情報を提供したのです。
また、このミッションでは月面での相対重力を測定する「横断重力計実験」も行われ、着陸地点周辺の地下構造を三次元的に解明するための貴重なデータが収集されました。
オレンジ色の土壌と過去の火山活動の痕跡

アポロ17号の探査において世界中の科学者を最も驚かせた発見の一つが、第2回目の船外活動中にショートー・クレーターの縁で発見された「オレンジ色の土壌」です。
地質学者であるシュミット飛行士が月面の灰色の砂の中に鮮やかなオレンジ色の帯を発見した瞬間、その興奮は無線を通じて地球の管制センターにもリアルタイムで伝わりました。
この特異な土壌は、後の精密な分析により、約36億年前に月の内部から噴出したマグマのしぶきが急冷されてできた微小なガラスの結晶(火山ガラス)であることが判明しました。
この発見は、月面上での比較的「最近」の活発な火山活動の決定的な証拠となり、月の熱的な進化の歴史を解明する上で計り知れない価値を持つ科学的成果となりました。
サーナン船長とシュミット飛行士は月面車を駆使し、渓谷の険しい地形を走破しながら様々な地質学的特徴を持つステーションを次々と巡りました。
彼らは巨大な岩の塊やクレーターの底から、月の深部のマントルに由来する可能性のある物質や、太陽風の歴史を記録した土壌サンプルなどを系統的に採取していきました。
月面車に搭載された通信機器を通じて、シュミット飛行士は地質学の専門用語を交えながら周囲の景観や岩石の構造を的確に描写し、地球上の科学者たちと緻密な議論を交わしながら探査を進めました。
このように、現場の専門家と地上の研究チームが一体となって行われたアポロ17号の科学的調査は、惑星地質学という新たな学問分野を飛躍的に発展させる原動力となったのです。
人類最後の月面足跡と未来へのメッセージ

3日間にわたる過酷で充実した月面探査の最終盤、第3回目の船外活動を終えようとしていたサーナン船長とシュミット飛行士は、歴史的な瞬間に直面していました。
彼らは月面車を離れた場所に停め、地球からの遠隔操作によって着陸船の離陸映像を撮影するための準備を整えた後、アポロ計画の業績を称える記念銘板の覆いを外しました。
着陸船の梯子を登る前、サーナン船長は人類として最後に月面に立つ者として、世界中の人々に向けて感動的なメッセージを語りかけました。
「私たちは今、月面のタウルス・リットロウを去りますが、神の御心のままに、すべての人類のための平和と希望とともに私たちは必ずここへ戻ってきます」という彼の言葉は、宇宙開発の未来への強い信念を象徴するものでした。
着陸船の上昇段は無事に月面を離れ、軌道上でエヴァンス飛行士が待つ司令船との完璧なドッキングを果たし、3人の宇宙飛行士は大量の月の石とともに地球への帰路につきました。
地球へ帰還する途中、エヴァンス飛行士も深宇宙での船外活動を成功させ、科学機器搭載区画から観測フィルムを回収するという重要な任務を完遂しました。
1972年12月19日、アポロ17号の司令船は無事に太平洋に着水し、人類を月へ送り届けるという壮大なアポロ計画はその輝かしい歴史の幕を閉じました。
アポロ17号が残した膨大な科学的データと技術的遺産は、今日に至るまで宇宙科学の発展を支え続けており、将来の有人月面探査や火星探査に向けた貴重な道標として永遠に輝き続けることでしょう。

まとめ
アポロ計画を第1章から第8章という形でお送りしてきました
改めて振り返ってみると壮大な計画だったことを思い知らされます。
月まで行ったのは24人で実際に月面に降り立ったのは12人しかいません
アルテミス4では再度月面に人類が降り立つことを計画しているそうです。
予定では2028年の予定だそうです、
私も行きたい

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