星条旗を宇宙へ 【第3章】月への架け橋:ジェミニ計画(1964年〜1970年)

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星条旗を宇宙へ【第3章】 月への架け橋:ジェミニ計画(1964年〜1970年)

1. 「月に行く方法」が決まらない —— 激論!月軌道ランデブー

ケネディ大統領が「月へ行く」と宣言した後も、NASA内部では致命的な問題が未解決のままでした。それは、**「どうやって月へ行き、どうやって帰ってくるのか」**という基本的なルートが決まっていなかったことです。

当初、フォン・ブラウンら主流派が考えていたのは、**「直接着陸方式(Direct Ascent)」**でした。巨大なロケットで一気に月へ飛び、ロケットごと着陸し、そこから再び離陸して帰ってくるという、SF映画のような豪快なプランです。 しかし、計算してみると、この方式には「ノヴァ(Nova)」と呼ばれる、サターンVよりも遥かに巨大なロケットが必要だと判明しました。開発には時間も金もかかりすぎ、1960年代中の達成は絶望的です。

そこで浮上したのが、**「月軌道ランデブー方式(LOR:Lunar Orbit Rendezvous)」**という奇策でした。

  1. 母船と着陸船をセットで打ち上げる。
  2. 月の軌道まで一緒に行く。
  3. 小さな「着陸船」だけ切り離して月面に降りる。
  4. 用が済んだら着陸船の上半分だけが上昇し、月の上空で待つ「母船」とドッキングして帰る。

この案を猛烈にプッシュしたのは、ラングレー研究所のジョン・ハウボルトという一人の技術者でした。 当初、フォン・ブラウンやNASA幹部たちは「月の上空で、時速数千キロで飛ぶ針の穴を通すようなドッキングをするなんて、自殺行為だ!」と激怒しました。もし失敗すれば、飛行士は永遠に月の周りを回り続ける死体となってしまいます。

しかし、ハウボルトは諦めずに手紙を書き続け、データを突きつけました。「この方法しか、10年以内に月へ行く方法はないのです」。 最終的にNASAは、リスクはあるが最も効率的なこのLOR方式を採用しました。

この決定により、次のプロジェクト「ジェミニ計画」のミッションは明確になりました。 月へ行くために絶対に必要な技術、すなわち**「宇宙空間でのランデブー(接近)」「ドッキング(結合)」**、そして船外活動をマスターすることです。

2. 宇宙遊泳 —— 「最高の気分だ!」と、戻れない恐怖

Image: AI Generated

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1965年、ジェミニ計画が本格始動します。 しかしまたしても、ソ連が先手を打ちました。同年3月、アレクセイ・レオーノフが人類初の「宇宙遊泳(EVA)」に成功したのです。 アメリカは3ヶ月後の6月、ジェミニ4号でこれに追随しました。

エド・ホワイト飛行士は、命綱一本で宇宙空間へと飛び出しました。ソ連のレオーノフがただ浮いていただけなのに対し、ホワイトは手に持ったガス噴射銃を使って、自分の体をコントロールして見せました。 眼下に広がる青い地球。遮るもののない星々。 「最高の気分だ! 終わりにするのが一番悲しい瞬間だよ」 ホワイトはそう無線で叫びましたが、実はこの時、深刻なトラブルが起きていました。

宇宙服が真空でパンパンに膨張し、船内に戻れなくなってしまったのです。無理に動けば体力を消耗し、二酸化炭素中毒になる危険がありました。 最後は火事場の馬鹿力でなんとかハッチに体を押し込みましたが、宇宙遊泳が見た目ほど優雅ではなく、過酷な肉体労働であることをNASAは思い知らされました。

3. 宇宙のバレエ —— ジェミニ6号と7号のランデブー

月軌道ランデブー方式を成功させるには、別の宇宙船を見つけ出し、隣に並んで飛ぶ技術が不可欠です。 1965年12月、NASAは大胆なミッションを行いました。ジェミニ7号を先に打ち上げ、その数日後にジェミニ6号を打ち上げて、軌道上で待ち合わせをするのです。

ウォルター・シラーとトム・スタッフォードが乗るジェミニ6号は、レーダーとコンピュータを駆使して、先に飛んでいたフランク・ボーマンとジム・ラブエルのジェミニ7号を追いかけました。 そしてついに、2つの宇宙船は距離30センチまで接近。窓越しに相手の顔が見える距離で、地球を数周回、並んで飛行することに成功しました。 「交通整理が必要なほど混んでるよ」 シラーは冗談を飛ばしましたが、これは時速2万8000キロで飛ぶ物体同士が、相対速度ゼロで並走するという、神業のような操縦技術の結晶でした。

一方、ジェミニ7号の飛行士たちは、別の地獄と戦っていました。彼らはフォルクスワーゲン・ビートルほどの狭い船内に、なんと「14日間」も閉じ込められていたのです。 風呂もトイレもなく、着替えもできない極限状態。地球に帰還した時、彼らはボロボロでしたが、「人間は月往復に必要な2週間を宇宙で耐えられる」という医学的データを持ち帰りました。

4. ジェミニ8号 —— アームストロングを襲った「死の回転」

ランデブーの次は、いよいよ「ドッキング(結合)」です。 1966年3月、ジェミニ8号の指揮官に任命されたのは、民間人のテストパイロット出身、ニール・アームストロングでした。

ターゲットは、先に打ち上げられた無人標的衛星「アジェナ」。 アームストロングは冷静な操縦でアジェナに接近し、ガチャンという音とともに、世界初のドッキングに成功しました。 「ドッキング完了。とてもスムーズだった」 しかし、その直後でした。結合した機体が突然、勝手に回転を始めたのです。

「何かがおかしい。ロール(回転)している」 アームストロングはアジェナの姿勢制御装置の故障を疑い、ドッキングを緊急解除して離脱しました。しかし、回転は止まるどころか、猛烈な勢いで加速し始めました。 故障していたのはアジェナではなく、ジェミニ自身のスラスター(姿勢制御エンジン)だったのです。

ジェミニ8号は、毎秒1回転という猛烈なスピードでスピンし始めました。遠心力で視界がぼやけ(ブラックアウト寸前)、計器の数字も読めない状態です。このままでは意識を失い、機体は空中分解してしまいます。

絶体絶命の瞬間、アームストロングは驚異的な判断を下しました。 軌道上の制御システムをすべて切り、大気圏再突入のためだけに残されていた「再突入システム(RCS)」を起動。その貴重な燃料を使って強引に逆噴射をかけ、回転を止めたのです。 ルール上、再突入システムを使ってしまったら、即座にミッションを中止して地球に帰らなければなりません。しかし、彼はミッションよりも「生き残ること」を選び、そして成功しました。

この時、パニックにならずに冷徹に「生き残るための唯一の解」を導き出したアームストロングの資質こそが、後に彼を、人類で最初に月へ降り立つ人間に選ばせる決定的な要因となりました。

5. 最後の仕上げ —— ジェミニ12号とバズ・オルドリン

ジェミニ計画の最後を飾ったのは、バズ・オルドリン飛行士です。 それまでのミッションで、宇宙遊泳(船外活動)をした飛行士たちは、みな疲労困憊し、汗でバイザーが曇り、作業を完遂できずにいました。無重力でレンチを回そうとすると、ネジではなく自分の体が回ってしまうのです。

「ドクター・ランデブー」の異名を持つ頭脳派のオルドリンは、プールの中での訓練(水中無重力訓練)を徹底的に行い、船体に手すりや足場を設置することを提案しました。 ジェミニ12号での船外活動で、彼は2時間以上にわたり、窓を拭いたりボルトを締めたりといった複雑な作業を、疲れを見せることなく完璧にこなしました。

「準備は整った」 1966年11月、ジェミニ計画は全ミッションを終了しました。 ランデブー、ドッキング、長期滞在、船外活動。月へ行くためのカードはすべて揃いました。 NASAの技術者と飛行士たちは、自信に満ち溢れていました。次の「アポロ計画」では、いよいよサターンVロケットに乗って月へ行くだけだと。

しかし彼らはまだ知りませんでした。 その新しい船「アポロ」の中に、致命的な欠陥が潜んでいることを。そしてその代償として、3人の仲間の命が失われることになる悲劇が、わずか2ヶ月後に迫っていることを。

栄光と悲劇:アポロ計画(1967年〜1972年)

1. アポロ1号の悲劇 —— 炎に包まれた3人の英雄

ジェミニ計画の成功で、NASAには「何でもできる」という慢心のような空気が漂っていました。「Go Fever(イケイケムード)」と呼ばれるその熱気は、1967年1月27日、冷水を浴びせられることになります。

この日、ケネディ宇宙センターの発射台では、アポロ1号の地上訓練が行われていました。ロケットは燃料が入っていない状態でしたが、カプセル内は本番を想定して「純粋な酸素」で満たされていました。 午後6時31分。 「火事だ! コックピットで火災発生!」 船内のガス・グリソム飛行士の叫び声が通信回路に響きました。 純酸素という環境下では、わずかな火花も爆発的な炎となります。船内は数秒で地獄の業火に包まれました。飛行士たちはハッチを開けようとしましたが、内側から開ける構造のハッチは内圧で固く閉ざされ、ビクともしませんでした。

わずか数十秒の出来事でした。グリソム、エド・ホワイト(アメリカ初の宇宙遊泳者)、ロジャー・チャフィーの3名は、生きたまま焼死しました。 この事故はNASAに強烈なショックを与えました。調査の結果、配線の不備や可燃性素材の使用など、安全軽視の実態が次々と明らかになりました。 「我々は急ぎすぎていた」 NASAは計画を白紙に戻し、カプセルの設計を根本から見直しました。月への道は閉ざされたかに見えました。

2. クリスマス・イブの奇跡(アポロ8号)

事故から1年半後、アポロ計画は再開されましたが、スケジュールは大幅に遅れていました。一方、ソ連は新型宇宙船「ゾンド」で月への無人飛行を成功させており、いつ人間を送り込んでもおかしくない状況でした。

「このままでは負ける」 1968年の夏、NASAのジョージ・ロウは起死回生の策を提案します。 「本来なら地球周回でテストするはずの『アポロ8号』を、いきなり月へ送ってしまおう」 着陸船(LM)はまだ完成していませんでしたが、司令船(CSM)だけで月を周回して帰ってくるという大胆なミッション変更です。

1968年12月21日、フランク・ボーマンら3人を乗せたサターンVロケットが打ち上げられました。彼らは人類史上初めて、地球の重力圏を脱出し、月の重力圏に入った人間となりました。 そして12月24日、クリスマス・イブ。 月の裏側から現れた彼らの目に飛び込んできたのは、灰色の荒涼とした月面の上に昇る、青く輝く美しい地球でした。 「なんてこった、あれを見ろ! 地球が昇ってくるぞ!」 ウィリアム・アンダースが撮影したこの写真は、後に**「アースライズ(地球の出)」**と呼ばれ、環境保護運動のシンボルとなるほど世界に衝撃を与えました。

その夜、月周回軌道からのテレビ中継で、飛行士たちは聖書の『創世記』を朗読しました。 「はじめに神は天と地とを創造された……」 荒れ狂う1968年(ベトナム戦争やキング牧師暗殺など)の終わりに届けられた、宇宙からのクリスマスメッセージは、世界中の人々を感動させました。

3. 静かの海へ —— 「鷲は舞い降りた」(アポロ11号)

1969年7月16日。ついにその時が来ました。 ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズを乗せたアポロ11号が、フロリダの空へ飛び立ちました。

4日後の7月20日。アームストロングとオルドリンが乗る着陸船「イーグル」は、月面への降下を開始しました。しかし、ここでもトラブルが彼らを襲います。 高度2000メートル付近で、船内のコンピューターが**「1202アラーム」**という警報を鳴らし始めたのです。処理能力の限界を超えたコンピューターが悲鳴を上げていました。 「着陸を中止すべきか?」 ヒューストンの管制室は、若き誘導担当官スティーブ・ベイルズの「無視して続行可能」という判断を信じ、GOを出しました。

さらに窓の外を見ると、自動操縦が目指している着陸地点は、巨大な岩がゴロゴロしている危険地帯でした。 アームストロングは手動操縦に切り替え、燃料が残りわずかとなる中、安全な場所を探して水平移動を続けました。 「燃料残り30秒」 警告灯が点灯するギリギリのところで、イーグルの着陸脚が月面に触れました。

「ヒューストン、こちら静かの海基地。鷲(イーグル)は舞い降りた」 その数時間後、アームストロングは梯子を降り、月面にその左足を記しました。 「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」 ケネディの公約通り、アメリカは1960年代が終わる前に、ソ連とのレースに勝利したのです。

4. 成功した失敗(アポロ13号)と計画の終焉

Image: AI Generated

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月着陸の熱狂は、しかし長くは続きませんでした。12号が成功する頃には、国民の関心は薄れ始めていました。 そんな中、再び世界が空を見上げたのが、1970年4月の「アポロ13号」です。

月へ向かう途中で酸素タンクが爆発。「ヒューストン、問題が発生した(Houston, we’ve had a problem)」という冷静な報告とは裏腹に、彼らは電力と酸素を失い、絶望的な状況にありました。 NASAの管制官たちは、本来2人用である着陸船を3人の救命ボートとして使うプランを練り上げ、手動での軌道修正や、身の回りにあるもので二酸化炭素除去装置を作るなど、持てる知識のすべてを動員しました。 世界中が祈る中、3人の飛行士は奇跡的に地球へ生還しました。これは**「成功した失敗(Successful Failure)」**と呼ばれ、NASAの危機管理能力の高さを示す伝説となりました。

その後、アポロ計画は科学探査に重点を置いた「Jミッション(15〜17号)」へと進化しました。月面車(ルナ・ローバー)が走り回り、地質学的な発見をもたらしましたが、ベトナム戦争による財政圧迫などで、当初の予定より早く打ち切られることが決まりました。

1972年12月、アポロ17号のユージン・サーナン船長は、月面に最後の足跡を残しました。 「我々が来た時と同じように、我々は去っていく。神の御加護があれば、また戻ってくるだろう」 そう言い残して人類が月を去ってから半世紀以上、私たちはまだ月へ戻っていません。

祭りは終わりました。しかし、冷戦構造の変化とともに、宇宙開発は「競争」から新たなフェーズへと移行しようとしていました。


(第4章へ続く)

ORION FIELD
・宇宙科学系ライター ・スペーステックライター
NASAの公開データや論文をベースに、ロケットの構造や惑星の挙動を技術的な視点で考察するブログです。

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