
アポロ1号の悲劇と幻のアポロ2号と3号の欠番に隠された真実 【アルテミスへ繋ぐアポロの軌跡:第1章】
アポロ計画は人類を月へと送り届けるという壮大な目標を掲げて進められていましたが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
1967年2月21日の発射を目指して準備が進められていた最初の有人宇宙飛行計画であるアポロ1号(指定番号AS-204)は、技術的な困難とスケジュールへの重圧の中で訓練が続けられていたのです。
同年1月27日、ケープ・カナベラル空軍基地の34番発射台上で発射予行演習を行っていた際、司令船内で突如として火災が発生しました。
この恐ろしい事故により、船長のガス・グリソム、副操縦士のエドワード・ホワイト、そして飛行士のロジャー・チャフィーという、優秀で勇敢な3名の宇宙飛行士が犠牲となりました。
出火の直接的な原因を完全に特定することはできませんでしたが、初期型であるブロック1司令船の設計および構造には広範囲にわたる致命的な欠陥があったことが、その後の徹底的な調査によって明らかになっています。
特に問題視されたのは、海面レベルの大気圧よりも高い圧力で満たされた100パーセント純粋な酸素の環境でした。
このような高濃度酸素環境下では、通常であれば燃えにくい物質であっても極めて容易に発火し、猛烈な勢いで燃え広がってしまう危険性が潜んでいたのです。
さらに、船内にはベルクロやナイロンといった可燃性物質が大量に持ち込まれており、これらが火災の被害を壊滅的なものへと拡大させました。
また、船内の気圧が外気圧よりも高くなると内側に開くことができない構造になっていたハッチの設計も、飛行士たちの迅速な脱出を阻む決定的な要因となってしまったのです。
喪失から得た教訓:徹底的な設計見直し

この悲劇的な事故を受けて、アメリカの有人宇宙飛行計画は20か月間にも及ぶ長い中断期間に入り、その間に宇宙船の徹底的な見直しと再設計が行われました。
NASAの技術者たちは、二度と同じ過ちを繰り返さないという強い決意のもと、ブロック2と呼ばれる改良型司令船の安全性を飛躍的に向上させるための対策を講じました。
発射時の船内空気は純粋な酸素から、窒素40パーセントと酸素60パーセントの混合気へと置き換えられ、火災のリスクは大幅に低減されることになります。
また、緊急時に迅速な脱出が可能となるよう、ハッチは外側にわずか10秒以内で開くことができる新しい方式へと変更され、爆発ボルトに代わって高圧窒素ガスを利用する安全な機構が採用されました。
船内に存在していた可燃性物質はすべて自己消火性を持つ安全な素材へと取り替えられ、飛行士が着用する宇宙服も、ナイロン製から極めて耐熱性の高いガラス繊維を用いたベータ・クローズ製へと刷新されています。
さらに、配管や配線への断熱材の塗布、1400箇所以上にも及ぶ配線問題の修正など、考え得る限りの安全対策が徹底的に施されました。
飛行指揮官であったジーン・クランツが事故後に管制室のメンバーに向けて語った「タフで有能であれ(Tough and Competent)」という言葉は、己の仕事に絶えず説明責任を持ち、決して妥協を許さないというNASAの新たな基本原則として深く刻み込まれることになったのです。
幻のアポロ2号と3号:欠番に隠された真実

アポロ計画の歴史を振り返る際、多くの人が「アポロ1号の次はなぜ4号になり、2号と3号はどこへ行ってしまったのか」という疑問を抱くことでしょう。
この番号の欠落には、犠牲となった3名の宇宙飛行士に対する深い敬意と、計画の変遷が複雑に絡み合っています。
本来、AS-204という指定番号が与えられていたこのミッションは、搭乗する飛行士たち自身によって任意に「アポロ1号」と称され、彼ら自身がデザインした徽章にもその名が刻まれていました。
事故後、残された未亡人たちは、夫たちが命を懸けて挑み、やり遂げることができなかったこの飛行に「アポロ1号」という名称を正式に残してほしいと強くNASAに懇願したのです。
これを受け、NASAは1967年4月24日にAS-204を正式に「アポロ1号」として記録し、このミッションを飛行を成功させることができなかった最初のアポロ・サターン有人地上試験として後世に伝えることを決定しました。
一方で、アポロ計画ではこの事故以前に、すでにAS-201、AS-202、AS-203という三回の無人飛行試験が実施されていました。
NASAは計画の番号付けを整理するにあたり、次に予定されていたサターン5型ロケットの初の無人発射試験であるAS-501を「アポロ4号」と命名し、それ以降の飛行はすべて発射順に番号を振るというルールを定めたのです。
過去に行われた最初の三回の無人飛行に対しては、遡って特別な番号を割り当てることはしなかったため、結果として「アポロ2号」と「アポロ3号」は永久に欠番として扱われることになりました。
まとめ
アポロ1号の話は、ただ悲しい事故として終わらないところが強く残ります。
大きな犠牲のあとに、設計や考え方が根本から見直されて、その後の月到達につながっていった流れには、重みと同時にすごさも感じます。
欠番になった2号と3号の背景まで知ると、この出来事がどれだけ特別だったのか、あらためて伝わってきますね。
第2章へ続く、、、
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