
栄光への飛躍:アポロ7号と8号が切り拓いた月への道【アルテミスへ繋ぐアポロの軌跡:第4章】
アポロ7号の飛躍:有人宇宙飛行の再開
アポロ7号は1968年にアメリカ合衆国によって実行された、アポロ計画における初めての有人宇宙飛行です。
1967年に発生したアポロ1号の悲劇的な火災事故で3人の優秀な宇宙飛行士の命が失われた後、アメリカが有人宇宙飛行計画を再開して地球周回低軌道上に人間を送るという、極めて重い使命と責任を帯びていました。
ウォルター・シラー船長、ドン・エイゼル司令船操縦士、ウォルター・カニンガム月着陸船操縦士の3名が搭乗し、大幅に設計が見直された「ブロック2」と呼ばれる新型司令・機械船の慣らし運転を行いました。
このミッションは11日間にわたる地球周回飛行の試験であり、サターンIB型ロケットを使って一度に3人の飛行士を宇宙に送る初めての試みでもありました。
宇宙という過酷な環境において、生命維持装置や推進システム、誘導制御システムの機能と信頼性を徹底的に実証することが求められていたのです。
さらに、宇宙空間からアメリカ全土に向けて初めてのテレビ中継を行うという、広報的にも画期的な任務が含まれていました。
この計画の完璧な成功は、その後のアポロ計画全体が予定通りに進むかどうかを左右する、絶対に失敗の許されない試金石であったと言えます。
軌道上での試練と成功

軌道上での作業は技術的には極めて順調に進行し、月への飛行において重要な役割を果たす機械船の主エンジンであるSPSは、合計8回の燃焼試験において推力の誤差を1パーセント以内に収めるという完璧な結果を残しました。
無重力環境での広々とした船内移動は予想以上に容易であり、マーキュリー計画やジェミニ計画の狭い宇宙船と比較して、新型宇宙船の高い性能と居住性が証明されたのです。
しかし、順調な技術面とは裏腹に、宇宙飛行士と地上管制官との間には飛行中のストレスから深刻な摩擦が生じることになります。
広い船室は皮肉にも飛行士たちに宇宙酔いをもたらし、扱いにくいゴミ収集システムや不評な食事メニューが彼らの不満を増大させました。
何よりも事態を悪化させたのは、シラー船長がひどい鼻風邪をひいてしまったことでした。
副鼻腔の圧力上昇による鼓膜破裂の危険性を恐れた飛行士たちは、大気圏再突入時にヘルメットを着用しないことを強く要求し、安全を優先する管制センターの指示に真っ向から反発したのです。
アポロ計画の未来を切り拓く帰還

宇宙での反乱とも呼ばれた緊迫したやり取りと感情的な対立にもかかわらず、アポロ7号は技術的な目的を完全に達成し、1968年10月22日に大西洋上へ無事に着水しました。
この11日間の飛行テストが成功裏に終わったことで、NASAは新型司令・機械船の安全性と性能に対する絶対的な自信を深めました。
その結果、わずか2ヶ月後に予定されていたアポロ8号による月周回計画の実行を強力に後押しし、歴史的な決断を下すための重要な確証を与えたのです。
飛行士たちと管制官との確執の影響で、3人の乗組員たちの宇宙飛行士としての輝かしいキャリアは着水と同時に終わりを告げることになりました。
しかし、彼らが命がけでアポロ計画に与えた貢献は計り知れず、後にNASA長官からアポロ計画への多大な貢献を讃えるNASA功労賞が授与されました。
かつて計画の中で厳しく対立した管制センターの元飛行指揮官からも、困難を切り抜けた彼らの勇気と実績に対して、惜しみない賞賛と深い友情の言葉が送られています。
アポロ8号の決断:月への前倒し飛行

アポロ8号はアポロ計画における2度目の有人宇宙飛行であり、人類として初めて地球周回軌道を離れて月を周回した歴史的なミッションです。
当初の予定では、1969年初頭に地球周回中軌道で司令・機械船と月着陸船の試験を行う、「E計画」と呼ばれる任務を遂行するはずでした。
しかし、月着陸船の製造と開発に致命的な遅れが生じ、ケネディ大統領が公約した「1960年代の終わりまでに人間を月に到達させる」という計画全体の目標達成が危ぶまれる事態に直面します。
この危機的状況を打破するため、NASAの上層部は司令・機械船のみを使用して一気に月を周回するという、極めて大胆かつ野心的な「C’(C-プライム)月周回計画」への変更を決断したのです。
フランク・ボーマン船長、ジム・ラヴェル司令船操縦士、ウィリアム・アンダース月着陸船操縦士の3名は、予定より数ヶ月も早く月へ向かうことになり、過酷な訓練スケジュールを乗り越えてこの前人未到のミッションに挑みました。
さらに、この飛行は巨大なサターン5型ロケットを使用した初めての有人飛行でもあり、ケネディ宇宙センターから有人宇宙船が発射される初の事例でもありました。
人類初の月への旅路と未知への挑戦

1968年12月21日に発射されたアポロ8号は、第3段ロケットを長時間噴射して秒速10.822キロメートルという人類史上最速の速度に達し、月遷移軌道へと正確に投入されました。
飛行士たちは、他の天体の重力圏に入り、地球から遠く離れた未知の領域であるヴァン・アレン帯を通過した初めての人類となりました。
月への3日間にわたる旅路において、彼らは直射日光による極端な温度差から宇宙船の機体を守るため、中心線に沿ってゆっくりと回転させる受動的温度管理(PTC)と呼ばれる複雑な操作を継続的に行いました。
また、宇宙酔いや極度の睡眠不足といった人体への過酷な影響にも耐えながら、天測航法による軌道計算や機器の監視という重責を不眠不休で遂行し続けたのです。
月の裏側という地球と一切の通信が途絶える絶対的な孤独の中で、彼らは月周回軌道へ進入するためのメインエンジン噴射という、少しのミスも許されない最も緊張を強いられるミッションを見事に成功させました。
月の周回と歴史的な「地球の出」

月周回軌道上での20時間、飛行士たちは月面を詳細に観測し、将来の月面着陸地点となる静かの海などの貴重な写真を多数撮影してミッションの科学的価値を高めました。
そして軌道4周目、月の地平線から青く輝く地球が静かに昇ってくる「地球の出」という、人類の歴史に残る息をのむような光景を目撃し、カラー写真に収めることに成功します。
この一枚の写真は、私たちが住む地球のかけがえのなさを世界中に知らしめ、その後の環境保護運動に計り知れない影響を与えることになりました。
クリスマスイブに行われた歴史的なテレビ中継では、深い感動とともに旧約聖書の創世記の冒頭が宇宙から朗読され、その映像と音声は当時の世界の4分の1もの人々に届けられました。
政治的な暗殺や紛争が絶えなかった騒乱の年である1968年の終わりに、アポロ8号が宇宙から届けた平和と希望のメッセージは、世界中の人々の心を温かく包み込みました。
無事に地球へ帰還した彼らの並外れた偉業は、アポロ11号による月面着陸という究極の目標へ向けて、確固たる自信と決定的な道を切り開いたのです。
まとめ
アポロ7号と8号の流れを追っていくと、月面着陸っていきなり実現したわけじゃなくて、ひとつひとつの成功と現場の踏ん張りの積み重ねだったんだなと実感します。
事故のあとに飛行を立て直した7号も、未知の月へ思い切って進んだ8号も、それぞれの役目がしっかり次につながっていたのが印象的でした。
有名な偉業の裏にある緊張や葛藤まで知ると、宇宙開発の見え方もちょっと変わってきますね。
第5章へ続く、、、
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